『理性の限界』を読んだ

この本はとても面白いのでオススメしたい。素人を寄せつけないような小難しい分野の話なのだけど、そうは感じさせない語り口で読み進みやすいだろう。まあ、新書だし。でも、新書の厚さに収めたところが素晴しい。

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

この本で扱うのは大きく分けて「アロウの不可能性定理」「ハイゼンベルク不確定性原理」「ゲーデル不完全性定理」の 3 つ。それぞれについて平易にうまく説明している。真の理解ではないが、分かった気になるはず。

これらの話題は本書に限らずいろいろなところに解説があるわけだが、本書のよさはディスカッション形式にまとめたところだろう。なんともいえない結論の出せない世界が身近にあると知るのではないか。


個人的な感想を書いておく。

まず、僕は自分にとって既知の事実を軽く眺めるだけのつもりで読み始めたのだけど、「投票のパラドックス」についてはたいして考えたこともなかったので、自分の未熟さ無知さに少々ショックを受けた。

次に、特に気になった部分というのは、第二章の p.140 から始まる「科学主義者」と「相補主義者」の論争のところ。僕は相補主義者こそ今風の科学者だと思っていたので、科学主義者の説くノスタルジーのような発言が信じられなかったな。まあ、現時点において量子の世界は理性の範囲を著しく越えていることは伝わった。

もうひとつ面白かった部分がある。それは同じく第二章の p.168 から始まる「パラダイム論」と「方法論的虚無主義」のところ。前者のパラダイム論についてはその通りだと思っているというか、そういうものだと感じてきたので特に違和感はなかった。後者の方法論的虚無主義は、まさに僕の好きな考え方で、本書では「自由」を追求したとあるけど度量の広さってことだと思っている。現代アートにおける美学に近いんじゃないかな。

付け加えると方法論的虚無主義という名前がいい。


最後に、本書を読む前から思っていたことを記しておこう。それは「合理的」とか「合理性」という言葉は、実は未定義なのではないかと。これらの意味は文脈でなんとなく決まる。そんな言葉を一般論で用いるのは大丈夫なのかと。これらの言葉が一人歩きしているように思うのだ。

だからこそ、「方法論的虚無主義」の説く「何でもかまわない」が僕は好きなんだと思う。