『報道災害【原発編】』を読んだ

自由報道協会に関係のある本くらい読んだほうがいいような気がして、『報道災害【原発編】』を読んだ。

万人にとって読む価値のあるのは全 5 章のうち最初の第一章だけかもしれない。残りの 4 章は原発事故とは別の話題だ。

読むのであれば今すぐ読んだらいいと思う。というのは、日本においてジャーナリズムの潮目が大きく変わりつつある状態なので、この本の賞味期限は長くないだろう。発行日は 7/30 だけれども、すでに内容が古くなりつつあると感じる。

感想としては、記者クラブは救いようがない状態なんだなということ。彼らは報道機関としての基本的な部分を去勢された広報団体なんだろうね。雑誌はもう少し自主的に動いているものかと思っていたけど、少なくとも有名どころはそうではないようだ。新聞やテレビはこんなもんだと思っていたけど。まあひどい。

p.79 や pp.239-240 にあるように、悪意のない懸命な努力の末にこのひどさが生まれるのだから、仕組みが間違っているとしかいいようがないな。

上杉:彼らとしては、きっと一生懸命なんですよね。
烏賀陽:悪意はない。一生懸命頑張っている。

烏賀陽:よく、「朝日新聞とか大手メディアは電事連から広告圧力
があって、原発のこと批判しなかったのか?」と聞かれる。私は答
えます。いえいえとんでもない。そういう立派な理由じゃない。もっ
とトホホな理由。ただ単に怠けていたとか、勉強してなかった、ラ
クしてた。
烏賀陽:タネを明かせば、みんな議論するのさえばからしくなるよ
うなトホホな実態なんです。むしろ陰謀だとか広告圧力であるとか
言ってもらえるほうが「俺たち過大評価されて、嬉しいな」なんて
喜んじゃう。だからやめたほうがいい。

個人的に興味を持ったのは、「日本はバルザックから 160 年以上遅れている (pp.123-124)」と「メモ合わせ (pp.230-244)」の 2 点かな。どちらもヤバいことだけど、後者については呆れるしかない。社説なんて書いちゃダメだよ。

今後、インターネットメディアなどによって「メインストリーム・メディアが何を報道してなかったか (pp.186-188)」が明らかになることで、日本がいい方向へ進むといいね。