小さい OS なる新たな解釈問題

どうも近頃は「小さい OS」なる新たな OS 解釈が跋扈しているようである。

おそらく「小さい OS」という言葉は、マイクロカーネルやナノカーネルといった時代の学術界隈で現れた言葉だと思うが、しかし、その言葉がどういうわけか現代において異なる意味を持ち始めているようだ。誰かが意図的に誤用したのではないかと邪推してみようか。

「小さいなんちゃら」という言葉遣いはありふれたものである上に、多様な意味を生み出しやすい。ゆえに、人それぞれの「小さいなんちゃら」が存在してしまうことになり、誤解が誤解を生むという事態になりやすい。また、「小さい」なる言葉を使うとなんだか謙虚な言明に聞こえてしまうから困ったものだ。

話を戻そう。僕は「小さい OS」という言葉を発する側の意図を汲み取るのが難しいと感じている。前回の OSC での感想を下に引用しておく。

僕は、一応ブースで来てくれた人の対応をするのだけど、これといって特別なことはなかったな。そういう人と話していて感じたのは、Linux に関する新しい情報が広まっていないこと。おそらく FedoraUbuntu といった有名なディストリビューションが短いサイクルでリリースされてしまうため、ついていけずに古い環境を使い続けることになり、新しい話題に触れることがない、こんなところじゃないかな。新しいソフトウェアに乗り換えるのは面倒なことだし、別に新しい情報を知っていることは必須ではない。これは仕方がないことで、今の Linux 界隈の事情をなんとなく垣間見た気がした。

言い換えると、「小さい OS」を望む方々の言明は具体的でないのである。具体的な何かを指し示すことができないため、とりあえず「小さい」と発しているのではないかと思う。もやもやしていてはっきりと理解の及ばない世界を「大きい」と感じ、謙虚な姿勢を示すために「小さい」と述べているのかもしれない。自分が理解可能な世界、つまり「小さい」を望んでいるのだろう。

物事の複雑で難しい部分に体当たりするのが一番だと僕は思う。とはいえ、これは万人に適した方法ではない。しかし、うまく平易に複雑さや難解さを伝えることで「小さい OS」幻想を薄められないものかと思うのだ。

はっきり言うが、今の Linux は軽くない。Windows に比べて Linux は軽いという主張が多くなされた時代はあった。当時はその主張は正しかった。理由は簡単だ。主にデスクトップ用途に限った話になるが、LinuxWindows に比べて機能が劣っていたからだ。機能が足りなかったのだから軽かったのだ。現在のデスクトップ向け Linux は数多くの機能が加えられ、とてもリッチになっている。それは旧来の軽さを犠牲にしたことを忘れてはいけない。

もちろん、軽さを売りにする Linux ディストリビューションはある。しかし、これらのディストリビューションはやや機能の劣るアプリケーションであるとか、設定を用いることで軽さを実現しているのである。高機能を望むユーザを満足させるものとは思えない。組み込み向け Linux をデスクトップで使う人はいないだろう。

基本的に「小さい」と「高機能」「多機能」は相反すると思ってもらいたい。この事実をうまく伝えていきたいものだ。リッチな Linux の世界を感じてもらうことで、「小さい OS」という幻想を消していきたいね。